人生は一回しかないんだ

生きる楽しみ × 挑戦 × 発見 ブログです。

我々は多くの時間を浪費している

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お題「最近知った言葉」

時間は十分に与えられている。

しかし、毎日が楽しそうな人、毎日をなんとなく過ごしている人、毎日を苦しそうに生きている人がいる。

朝起きると同時に今日は何しようとワクワクする人、あぁもう朝かと2度寝する人、仕事行かなきゃいけないのかと渋々準備する人がいる。

そして休みの日にも、今日は遊びに行くぞと活発な人、特にやることないなぁと漫然と過ごす人、時間に追われる人、休日だけど職場に行く人がいる。

 今を生きているようで、生きていないような人が多い。

時間は平等に与えられているにも関わらず。

 

人生の短さについて 他2篇 (古典新訳文庫)

人生の短さについて 他2篇 (古典新訳文庫)

 

 

誰かの生き方をああだこうだと言うつもりはない。ひとのことを言えるほど、自分は正しい人間ではない。俺は俺の生き方を見て思う。なんとなく生きるなんてクソだ。生活のために生きるのは虚しい。生きるために必要なことではなく、生きていることを実感するために必要なこと。「命の燃焼」の不足。そのことが、悔しいのだと思う。

http://ibaya.hatenablog.com/entry/2017/11/01/112858

ローマ哲学者 セネカ の言葉

我々は短い時間を持っているのではなく、実はその多くを浪費しているのである。

人生は十分に長くその全体が有効に費やされるのならば、最も偉大なことをも完成できるほど豊富に与えらている。

 

現在26歳になり自分の人生について考えるようになりローマ哲学者 セネカ の言葉

が心に突き刺さる。

確かに、時間は十分に与えられている。

しかし、その時間の多くは自分のための時間だろうか。

やりたいことをやれているのだろうか。

自分の時間は自分が支配する自由な時間なのか。

 

考えてみればみるほど、時間を浪費しているような気がしてしまう。

自分の時間を本当に自分がしたいようにして過ごし、精一杯、自分を磨いているのかと。

会社に行けば、同い年くらいの同僚の口から「あぁ、疲れた。帰りたい。これが、あと、40年も続くのか。年金暮らししたい。」というような負の言葉が飛び交う。

 

言われたことをやって、生活に困らないお給料を頂けることは本当にありがたい。

結婚して、子供ができて幸せな家庭を作ることも立派なことだ。

生涯年収2億から3億といわれている会社で先の見えた生涯を立派にやり遂げるのも悪くないが果たしてそれでいいのか。

やりたいことがあっても、なくても、なんとなくの人生を過ごすことに意味があるのか。

人生はもっと楽しい事で溢れている。

私たちはまるで

井の中の蛙大海を知らず

のように楽しい世界を知らず小さくまとまり生涯を終えるのか

それとも、自分の時間を生き、生涯を楽しむのか

 

私は十分に与えられたこの時間を、もしかすれば明日死ぬかも分からないこの人生を自分の時間として楽しんで生きたい。